オープロのあゆみ 3 急成長するアニメ業界

作品年度 東映班作品 日本アニメーション班作品 その他の班作品
1982 「 わが青春のアルカディア」
「吾輩は猫である」
「南の虹のルーシー」 「フクちゃん」
「銀河烈風バクシンガー」
1983 「こてんぐテン丸」 「わたしのアンネット」
「ミ−ムいろいろ夢の旅」
「まんがイソップ物語」
「銀河疾風サスライガー」
1984 「とんがり帽子のメモル」 「牧場の少女カトリ」 「ルパン三世 PART3」
「名探偵ホームズ」
「風の谷のナウシカ」(劇)
1985 「はーいステップジュン」 「小公女セ−ラ」 「六三四の剣」
1986 「メイプルタウン物語」 「愛少女ポリアンナ」
「宇宙船サジタリウス」
「青い海のエルフィ」
「ドリモグだァ」
「天空の城ラピュタ」
1987 「新メイプルタウン物語」
「ビックリマン」
「愛の若草物語」
「グリム名作劇場」
「デビルマン誕生編」
「あわてんぼうのサンタクロース」
1988 「ビックリマン」 「小公子セディ」
「新グリム名作劇場」
「はれときどきぶた」(劇)
「燃えるお兄さん」「美味しんぼ」
「AKIRA」
「火垂るの墓」(劇)
1989 「新ビックリマン」 「ピーターパンの冒険」 「魔女の宅急便」(劇)
「YAWARA!」
1990 「スーパービックリマン」 「私のあしながおじさん」
「ちびまる子ちゃん」
「デビルマン妖鳥死麗濡編」
「海だ船出だにこにこぷん」(劇)
「平成天才バカボン」
「雲のように風のように」
1991 「きんぎょ注意報」 「トラップ一家物語」 「DBキャラ永井豪ワールド」
「おもひでぽろぽろ」(劇)
1992 「美少女戦士セーラームーン」 「大草原の小さな天使ブッシュベイビー」 「リトルツインズ」
「紅の豚」(劇)
「ジャイアントロボ」
1993 「美少女戦士セーラームーンR」 「若草物語 ナンとジョ−先生」 「海がきこえる」
「平成狸合戦ぽんぽこ」(劇)
1994 「美少女戦士セーラームーンS」 「七つの海のティコ」 「モンタナ・ジョーンズ」
1995 「美少女戦士セーラームーンSupers」 「ロミオの青い空」 「ユンカース・カム・ヒア」(劇)
「KAZU&YASUヒーロー誕生」
「耳をすませば」(劇)
「攻殻機動隊」(劇)

便宜上”班”という言葉を使っていますが90年代後半以降は多くて3人位がその作品に参加しているだけでほとんどが個人で細かく掛持ちで仕事を受けているので把握しきれないのが現状です。ですから90年以降の表はあまり意味を成していません。
作品年度 東映班作品 日本アニメーション班作品 その他の班作品
1996 「美少女戦士セーラームーン
・セーラースターズ」
「家なき子レミ」
「名犬ラッシー」
「X」
1997   「機関車先生」
「中華一番!」
「もののけ姫」(劇)
1998 「蓮如物語」(劇) 「コジコジ」
「母をたずねて三千里」
「チャイニーズ・ゴーストストーリー」(劇)
「スプリガン」
「この星の上に」(アニドウ制作)
1999     「ミトの大冒険」
2000   「ちびまる子ちゃん」 「月光仮面くん」
「へろへろくん」
「二ャンダ−仮面」


2000年(平成12年)、取締役・アニメーター、小松原一男が頚部悪性腫瘍のため、3月24日永眠。享年56。1943年12月神奈川県横浜市生まれ。東映動画が設立した動画養成所チルドレンズ・コーナーに入社し、日本アニメーション界のパイオニア、山本早苗、熊川正雄等に師事しました。「おそ松くん」「鉄人28号」「狼少年ケン」などの動画に加わり、ハテナプロを経て、1970年オープロダクション設立に参加。 1969年の「タイガーマスク」から作画監督として活躍をはじめて、キャラクターデザインとデッサン力にすぐれたアニメーションを発表していきました。その優れた才能は、フランスで大ヒットした「UFOロボグレンダイザー」などのロボットアニメ、「銀河鉄道999」などの松本零士原作アニメから宮崎駿の「風の谷のナウシカ」まで、多彩な作品をヒットに導いた原動力となりました。
著書に「小松原一男アニメーション画集」(編集:アニドウ、発行:東急エージェンシー)。

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